卒業式校長式辞抜粋

昨日、46年前の自分の高校の卒業式を思い出していました。でも、何も浮かばない。体育館も教師も旧友の姿も何も浮かばない。おそらく私は卒業式に出なかったのではないかと思うのです。当時の私は人生のどん底にあって、周囲の輝きに少し気後れをしていました。つまり、私にとって高校の卒業式は人生の次の起点にならなかった。

  自分のことは棚にあげて言うのですが、君たちには今日が人生の起点になってほしい。人生を歩んでいれば取り得る選択肢は、どんな時でも二つしかありません。1つはその場所にとどまり続けるのか。もう1つはとりあえず一歩前に踏み出してみるのか。

  これまでの18年間、君たちは敷かれた線路の上を歩いてきたにすぎません。これからは線路があるようでない人生に入っていきます。人が決めた線路を行くのは楽だけど、人が決めた線路は行き先がわからない。

  最近タンポポを見る機会が減りました。子どもの頃、タンポポの綿毛を思い切ってふーっと吹くと、それは風に吹かれて遠くに飛んでいきました。でも、風が吹いていない時、綿毛はすぐに落ちてしまう。風が吹いていない時は、淡々と生きればいいと思います。 でも、少しでも自分に風が吹いたら、ガムシャラに努力する、成功する人と失敗する人の唯一の違いは、風が吹いた時に恐ろしいまでの情熱で努力をしたか否か。それだけの違いです。

  私の人生は失敗だらけでした。これで人生おしまいだというとても大きな失敗も、思い出すだけでも四回ありました。でもその失敗は消えることはないが薄れています。失敗はその場所で止まるから失敗なのであって、失敗から学んで成功まで上書きしていれば、失敗は過去のものになる。そして失敗は人を優しくします。

  京セラを作った稲盛和夫さんが「人生で一番大切なことは何であると思われますか」と質問され、稲盛さんは間を置かずこう答えた。「やっぱり人生で一番大事なものというのは、一つはどんな環境であっても真面目に一生懸命生きること。それともう一つは、人は自分だけよくなりたいという気持ちを強く持っています。でもそれをこえて、他者を幸せにしてあげたいという気持ちを描き続けることです」。

  私は20歳の時、三か月病床にいました。その時に、アウシュビッツの収容所を描いたフランクルの「夜と霧」を読んだ。「夜と霧」にはこうした一節があります。強制収容されたユダヤ人は、飢えや過酷な労働で死ぬか、ガス室に送られて殺されるという自分の運命を知っています。たくさんの人が衰弱して土の床にへたり込んでいる。その時に、突然仲間が飛び込んできて、「疲れていようが寒かろうが、とにかく来い、夕焼けがとてもきれいだ」と叫ぶのです。

これを聞いた人々はよろよろと立ち上がりながら外に出る。向こうには、地平線いっぱいに赤く燃え上がるような雲が広がっていた。その雲の下には、夕焼けとは対照的な収容所の灰色の屋根が広がっています。人々は長い時間黙って夕焼けを見つめている。しばらくして、誰かがつぶやいた。「世界って、どうしてこんなに美しいのだろう」。

  私はこの一節を読んだ時に、人生に投げやりになっていた自分をとても悔いた。どんなに苦しい状況であっても希望を持つことはできる。希望という言葉はいいものです。希望はいつも新しい勇気をくれる。いいものは滅びない。

  20歳の私の人生の色は灰色でした。でも灰色もいろいろな色が混ざり合って灰色になる。私はその一本一本を取り出してみようと思ったのです。そしていつか夕焼けのような真っ赤な人生を描きたいと思った。いろいろな色が混ざり合って人生のドラマは作られます。そのドラマの主人公は君たち一人ひとりしかいない。代役はいませんよ。志高く、大きな空に自分の色を描いてください。

  最後に、今日渡された卒業証書には君たちの生まれた日が書かれています。その意味をかみしめてほしい。

  その日、母は命がけで君を産んだ。その日、父は「生まれてきてくれてありがとう」と君にささやいた。はじめて君を抱いた時、父も母も「この子を守りたい」と思ったにちがいない。君が生まれた日は、君だけに特別な日ではなく、君たち家族にとっても大切な日だった。

  人生を振り返った時に、最上の幸福は自分の幸せではなく、家族の幸せであることが、いずれ君たちもわかる。64年生きてきた私が言うのだから間違いない。

  君たちと一緒に過ごした3年間、あるいは6年間、君たちと一緒に悩み、時には悔い、でも君たちと一緒に歓喜し、感動した日々はかけがえのない時間でした。たやすく過去の場所に戻るものではない。未来に希望のある者は過去には帰らない。でも、どうしようもないくらい辛くなったら戻ってきなさい。君たちと出会えたことに感謝をしています。ありがとう。