3学期始業式校長の話抜粋

新年おめでとうございます。私は1月3日で64の歳になりました。昭和36年の生まれですので、戦争が終わった昭和20年からまだ15年しか経っていない混迷期でした。

幼少の頃に住んでいた上大岡の長屋は貧乏の象徴のような住まいであったし、近くの川が氾濫するとすぐに床上浸水をして、家の中で水につかるというのは日常茶飯事でしたよ。

私の父親はこの長屋で近所の小学生や中学生を集めて学習塾を始めたのです。やがてこの学習塾はでかくなり、神奈川で一番大きい予備校になった。日能研や中萬が出てくる前の時代です。でもいい時代は10年続かなかった。最後は莫大な負債を抱えて、別の会社に買収され、長く住んだ自宅も売られていきました。

予備校がつぶれた時、父親は結構さばさばとこう言ったんですよ。「どうにかなることはどうにかする。でも、どうにもならんことはどうにもならん」。そりゃそうだ。会社潰れて家もなくなっちゃったんだから、どうにもならんことはどうにもならん。都合のいい言い訳だなと思いながら、苦しい時に時折この言葉を思い出す。「どうにもならんことはどうにもならん」

誰にも不安や悩みはありますよ。不安や悩みがあったら、それを紙に書き出してみたらいい。紙に書いてみると、どれも些細な事ばかりだ。自分の容姿のこととか、相手がどう思っているかとか、過去を悔いるとか。持って生まれたものはどうしようもないし、相手の感情など解決できない。過去を悔いたところで、終わってしまったことはどうしようもない。

どうにもならんことに悩んでいる時間はもったいないと思う。どうにもならんことを考えるくらいなら、どうにかなることを考えた方がいいと思うのです。

「どうにかなる」って自分でつかみに行った時は、自分で選んで決めているんだから、どうあっても失敗したとは思いませんよ。「失敗」と書いて失い敗れるという。でも「失敗」は失敗した所でやめるから、失い敗れたことになる。成功するまで歩き続ければ、「失敗」は失わることなく敗れることもない。

冒頭話をした私の父親はもういませんが、晩年、医者から胃ろうを進められた。お腹にチューブを通して食べ物を流す。そのことを伝えたら、やらんって強情に首をふった。私も結構頭にきて、「もう無理をしないで、そろそろ山を降りたらどうだ」と言ったんです。そうしたら、手で「ペンを貸せ」っていう。紙にぐちゃぐちゃの字でこう書きました。「まだ山は降りていない」

「まだ山は降りていない」という言葉は、最後まであきらめない、強くあるという自分に対する励ましだったのかもしれませんね。

最後に、高校三年生の皆さんに。これから受験本番の人は最後まであきらめることなく、強く目標に向かってください。でも、高校卒業は単なる通過点に過ぎませんよ。大事なことは、高校を卒業したあと、自分の現在地よりも少し高い山を選んで進むことです。自分よりも高い山を選び続けていれば、限界が限界でなくなって、誰もが自分が思っている以上の存在になりうる。大した人間ではない私自身がそうでしたから。

 今日の山が上れなかったら、希望を持って明日の山にかけてみればいい。明日は「明るい日」と書くでしょう。