今日はなぜ学校行事を含めた学校の運営を生徒の皆さんに任せるのか、その意義について話をしたいと思います。
私は自分がさほど能力が高い人間とは思っていない。中学校3年生から高校2年生までほとんど勉強してこなかったし、高校受験も大学受験も失敗した。30代の時に弁護士になろうと思って始めた勉強はスタートラインにもつけなかった。だから能力はそんなに高くないんだろうと思います。
でもね。60歳を過ぎてわかることがあって、能力よりも大事なことがある。それは、何かを成し遂げようという「強い思い」と、その思いを成し遂げるために何が必要かを「考えぬく力」の2つ。
勉強の能力は低かったかもしれないが、ある大学の法学部に入りたいという思いは強く持っていたし、その思いを成し遂げるために考え抜いてきた。その学部には入れなかったが、この思いと考え抜く力は私にとって今も強い根になっています。教師になる能力はなかったかもしれないが、大学生の時に中学生から差別をなくすために何ができるのか行動で示せと言われて、その疑問を解決するために教員をめざした。
52歳で神奈川県の教員をやめて横浜創英に転職した時も、私学でやっていく能力はなかったかもしれないが、
横浜創英の未来に向けた思いは強かったし、横浜創英の未来に向けて必要なことを考え続けてきました。今もそうです。
「思い」って最初は思いつきなんですよ。「こうしてみたいとか」「こうありたいとか」。その思いつきは、何としても成し遂げたいという強烈な思いによって信念になる。思いつきが信念に変わったら、今度は頭を使って「じゃあ どうすれば成し遂げることができるか」考え抜けばいい。
学校運営を生徒になぜ委ねるのか。
それは、自分の力で学校を変えた経験のない若者が、社会を自分の力で変えようとする活力を持ちえないからです。自分の力で学校を変えたという経験を持つことで、自分の可能性を探すことができる。可能性とは、自分にしかできないことを、人と繋がりながら、信じ続けること。他人はそんなことできるわけないと言いますよ。それをはねのける唯一の方法は、自分にしかできないことを信じ続けることです。
君たちはこの一年で多くのことを変えてくれました。
4月の入学式は生徒が司会をし、生徒が企画運営をし、吹奏楽部も演奏で新入生を迎えるにふさわしい雰囲気を創ってくれました。私が生徒に言ったことはひとつだけです。型にこだわると大人の論理が入って、一番大切な新入生の存在が薄れるからね。入学式の時に起立・礼という号令は一度もかからなかったと思います。
3月には高校の卒業式が行われます。高校2年生の生徒、支えてくださいね。卒業式で大切なことは何ですか。これから仲間と再会するためには何か理由が必要となる。その理由とは、「人生の中でやりたいことが見つかった」って胸張って語れるか。それを探す旅のスタートが卒業式です。未来に向けたスタートの場に型や慣習はいらないでしょう。卒業生の皆さんは卒業式でこうやりたいということがあれば遠慮せずにやればいい。
体育祭では教員がマイクを握る場面は一度もなく、体育祭も文化祭も生徒の笑顔はとても輝いていました。あの笑顔は、教員が枠を作って、その中で与えられた自由ではなく、自分の力で枠と自由を作りあげたゆえの輝きだと思う。
自由と規律の間には境界線があります。この境界線は教員が決めることもあるかもしれないが大半は生徒自身に決めさせたい。なぜなら、社会に出れば自由と規律の境界線は自分で判断するからです。
部則が必要な部があれば部則を作っていいですよ。ただし、「今までやってきたから」というだけの理由で、何かを決めてはなりません。部則が必要ならば、そのルールを論拠を持って説明し、言語化し公開しなさい。そうすればその部の自由と規律は本物になる。
成功しない人は、壁にぶつかった時に「乗り越えられないのではないかと」と心の中で迷いが生じる人だ。でも成功する人は、壁にぶつかった時でも、「自分には可能性がある」と自分を信じる人だ。その違いは大きい。
今年もあと一週間です。来年も自分の可能性を信じて一歩踏み出してみてください。
人から「できますか」と言われて、「できません」と言ってはダメですよ。自分の可能性を自分で否定することになりますからね。できるかどうかわからないけど。「できます」と言っちゃう。そのあと、頭が痛いくらい考え抜けば大抵のことはできちゃう。
今日はクリスマスイブです。クリスマスは、すべての人が過去を忘れて、今この時を大事にしたいと願う日です。いいクリスマスになりますように。