生徒のための入学式

 4月9日に横浜創英中学・高等学校の入学式が行われました。学校運営を生徒に移譲するという最上位目標に沿って、今回はじめて入学式の運営の多くを生徒会に任せました。 

 学校の主人公は、校長でも教師でもありません。ましてや現場から遠く離れている教育委員会でもないし、学校法人でもありません。学校の主人公は生徒です。私は人と人との橋渡しに「信ずる」という言葉が不可欠であると思っています。相手が自分を信じてくれるから、自分も相手のために生きようと思う。相手のために動こうと思う。そうした気持ちがにじみ出る穏やかな環境が学校の現場には不可欠です。 

 入学式の運営を生徒に任せることができたのは、生徒を信じているゆえのことです。型とか見栄えとか説明とか、大人の論理が入ると、式で一番大切な生徒の存在が薄れてしまう。生徒が式の司会を務め、オープニングの吹奏楽部の演奏は新入生を迎えるにふさわしいものでした。生徒会が式の中で学校紹介や校歌紹介を行い、穏やかな雰囲気を作ってくれた。 

 生徒会長は自分の言葉で、次のように語り、感動を与えてくれました。 

「横浜創英では数多くのことにチャレンジできます。その先にある喜びや悔しさを思う存分味わい尽くすこと、それを私は青春と呼ぶのではないかと思います。自分の思う最高の青春を横浜創英で築いてほしいと、私は心の底から願っています」。 

 私はこの言葉を聞いていて、「喜びだけでなく悔しさを味わうことも青春なのかあ」、すごいなあと。「悔しい」という感情が「あきらめないこと」の裏返しであることをよくわかっている。「あきらめる」という言葉の意味は、やめるとか逃げ出すことではなく、「明らかに見極める」ということです。「あきらめる」という言葉を使うことができるのは、中途で投げ出すことをせずに、限界の手前までたどりついた人だけ。この言葉だけで、何度も諦めない経験を創英で繰り返してきたことがよくわかります。学校の文化は、成熟した言葉によって継承されていきます。 

 4月当初、私はたくさんの保護者の方々と対話をくりかえしてきました。あるお母さんが言われた言葉を今も大事にしています。 

 「親の最も大切な責任は、子どもが幸せになるための場所を見つけてあげること」 

 親と子の関係は決して切れることはありませんが、少しずつ関係がゆるくなることでお互いが成長していきます。教師と生徒の関係はいずれ切れるものであり、ゆるくなるまでの時間幅がないからこそ、限られた時間の中で未来に向けた道標を示さなくてはなりません。 

 生徒の主体性と当事者性を育てながら、生徒自身が自分の生き方を見つけることができ、何を考えるのではなく、どう考えるのかを引き出す力を大切にし、生徒を社会と繋げることができる。そうした道標を明確にできる学校でありたいと思うのです。そのことが、本校に我が子を託す親の願いに寄り添うことだと思っています。